【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第11回:最終回

 

フィンランド人の民族意識について考えるためには、「カレワラ」に触れなくてはならない。

 

ニコライ祇い虜澎銘罎任△1835年、医師であるリョンロートはフィンランド東側のカレリア地区を歩き、その地の伝承(詩歌)を収録し、それを叙事詩「カレワラ」として発表した。その評判が良かったので、さらに調査を続け、補筆し1849年に改訂版を完成させた。

 

この叙事詩は古代フィン人に思いを寄せた神話で、その後の民俗学の研究テーマ、あるいは、美術、音楽の創作材料ともなって、フィンランド人全体に大きな影響を与えた。シベリウスの初期の作品クレルヴォ交響曲やレンミンカイネン組曲もこの「カレワラ」が題材となっている。

 

タイトルのクレルヴォやレンミンカイネンというのは「カレワラ」の登場人物であり、わが国の神話でいえばスサノウノミコトやオオクニヌシノミコトを題材にしているのと同じことである。


シベリウスが持っていた祖国愛の度合いを知ることはできないが、少なくとも、フィンランド独自の文化を興そうという雰囲気の中に彼の活動があった。

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第10回

 

こうして、フィンランドは長い間スウェーデンによって形作られてきたのだが、この後、大きな変化が訪れた。
19世紀初頭、ヨーロッパ全体がナポレオンの登場で緊張している中、またもスウェーデンは内紛をきっかけに国が揺れ動き、1808年ロシアからフィンランド地区への攻撃を許すことになる。現地のフィンランド人たちは必死に戦った。しかし、スウェーデンはすでにこの地には見切りをつけていて、援軍を送らなかった。

 

私事ではあるが、つい先日、このフィンランドとロシアとの国境付近を飛行機で通る機会があった。

上空から眺めてみると、見渡す限り大小の湖が点在し大地を埋め尽くしていた。まとまった陸地を形成しているとはいえず、集落のようなものはまるで見られなかった。

 

飛行機から見たロシアとフィンランドとの国境付近

画像:飛行機から見たロシアとフィンランドとの国境付近(筆者撮影)

 

外務省のホームページによると、現在のフィンランドの人口は550万人だという(東京都人口1,300万人超)。また、国土の面積は日本より少し狭く、ちょうど沖縄を除く九州七県を差し引いたぐらいになる。つまり、人口密度がわが国よりもかなり低いわけで、こういった湖だらけの土地を現代の土木技術を駆使して開発する必要もないのだろう。このような土地のために何世紀も前からロシアもスウェーデンも文字通り一所懸命になっていた。


この侵攻の翌1809年、フィンランドは正式にロシアに割譲された。1812年には首都がトゥルク(オーボ)からヘルシンキに移された。

 

ニューグローブ世界音楽大事典のフィンランドの項によると、この後徐々に都市文化が発達していき、60年代以降、国内で催される演奏会の回数が飛躍的に増加したという。

 

また、アマチュア音楽家の演奏活動も盛んになり、演奏会通いをする人も増えた。

 

65年生まれであるシベリウスも、10代の頃から自らはヴァイオリンを弾き、家族で三重奏をたしなむような環境だった。この時代の典型的な良き家庭だったのだろう。

 

次記事●第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第9回

 

高緯度に位置するフィンランドであっても紀元前から人は生活していた。ロシアのウラル山脈に近い地域から移動し、その途中に農耕を覚えてフィンランドに定住したということである。ウラル付近からヨーロッパに定住するというのは、ハンガリーなども同じである。そしてこの地域に今のフィンランドの源ともいえるものが形成されたのが、ロシアの場合と同じで、キリスト教の導入された時代だと考えていいだろう。そういう意味でフィンランドを形作ったのはスウェーデンだった。スウェーデン王のエーリク柔い1155年北方十字軍としてフィンランドに出兵し、司教ヘンリックがフィンランドにカトリック信仰をもたらした。王は、更に東に兵を進めたが、東方正教の勢力の強い地域に差し掛かると、モンゴルの侵入に押し返され東カレリアを保有するにとどまった。つまり、フィンランドとロシアとの国境は、ローマカトリックと東方正教との境界線でもあった。


このように、フィンランドはスウェーデンに支配されることによりヨーロッパの仲間に入ることになった。しかし、その宗主国であるスウェーデンも決して頼りがいがあるとは言えなかった。国内の内紛の末、1397年にデンマーク、ノルウェーとの3国により結ばれたカルマル同盟では、事実上デンマークの支配下に置かれた。時代が下って、1523年、グスタブ祇いようやくカルマル同盟から分離独立し王に即位し、宗教改革を行い、ルター派を受け入れた。以後、現在に至るまでスウェーデンではルター派が国教とされている。フィンランドもこの改革に付き合うことになり、国教でこそないものの、ルター派が大勢を占めている。


次記事●第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第8

 

文化の面で本格的に西欧化されたのはエカテリーナ鏡い亮世になってからである。

 

彼女は1762年に皇帝に即位した。元々ドイツからピョートル契い糧泙箸靴討笋辰突茲真箸両紊任△辰燭、曲折の末、自らが皇帝となった。エカテリーナは教養が高くロシアに来る前から啓蒙思想を学んでいた。ロシア帝国はモンゴル帝国式の専制で成り立っていたから、学識が高い彼女はとんでもない所に嫁に来たと思ったに違いない。しかし、直ちに政治方針を西欧式にすることは貴族たちの発想の限界もあり、それよりも先ず教育の必要性を痛感した。

 

このような事情の中で西欧音楽が積極的に取り入れられ、イタリアの音楽家たちが数多く招聘された。わが国の明治維新のお雇い外国人を思えばわかりやすい。パイジェルロ(1740〜1816年)はその一典型である。1776年から7年間ロシアでエカテリーナ付きの楽長として作曲、指揮をした。1783年に妻が病気だという嘘くさい理由を掲げてイタリアへの帰国許可を願い出た。パイジェルロはエカテリーナ帝からの信頼が厚く、この申し出に対し1年間の有給休暇の後に復帰する提案をされる程だった。しかし、帰国を果たした彼は二度とロシアに戻ることはなかった。母国イタリアでまともな職を得たのである。当時のロシアとは、西欧の音楽家にとってそんなものでしかなかったのだろう。


こうした西欧化の方針の末、初めての国際的な作曲家としてグリンカが登場するのは、19世紀まで待たなければならなかった。この頃になると、農奴に対しても収奪をするだけではなく合唱や器楽合奏をさせたりする貴族も少なくなかった。グリンカは、叔父が農奴のオーケストラを所有していたので、管弦楽に親しむ機会にも恵まれ、音楽的な環境の中で育った。


欧化政策から約1世紀を経て活躍するチャイコフスキーはその次世代で、子供の頃からグリンカのオペラの上演に感動したりして育った。また、チャイコフスキーはペテルブルグ音楽院最初の卒業生で、初めてロシアにおいてアカデミックな教育を受けた音楽家となった。自国で世界的な音楽家を養成する教育機関が出来た。チャイコフスキーはこうした急速な近代化の中で誕生した作曲家であった。この時代の流れはそこで止まることはなく、やがてロシア革命に至る。

 

次記事第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第7回

 

そして、もう一つ音楽と直接結び付く問題として、教会の鐘が東西で異なる形式のものが使われているということにも触れておきたい。

 

西ヨーロッパの教会の「カラーン、カラーン」という鐘の音は私たちにも聞き覚えがある。

紐を引くとベルが傾き、緩めるとまた元の位置に復元するという動きによって内側にぶら下がっている舌(クラッパー)がベルとかち合い、そのようなリズムで音が鳴る。

 

これに対し、東方正教の鐘は鳴らすメカニズムがまた違っている。

 

こちらの場合は、紐がベル本体ではなく舌に繋がっており、その舌だけを動かし本体は静止したまま打ち鳴らす。

ベル本体を動かさないことで、西側のものより建物の強度問題が大幅に軽減される。

 

このため、大きさも西欧のものをしのいでおり、写真でみると日本の梵鐘(ぼんしょう)のような人がすっぽり入る程の大きなものもある。

また東方正教の寺院では、トレズヴォンといって大小の複数の鐘を設置しており、これを数人がかりで鳴らす。

 

音色は、日本の梵鐘が木で突くために「ゴーン、ゴーン」という印象であるのに対し、トレズヴォンは金属同士が打ち合うので「ガーン、ガーン」というような音のイメージになる。

 


◆トレズヴォン動画

 

ラフマニノフの「鐘」やムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後に登場するキエフの鐘も、当然西ヨーロッパの「カラーン、カラーン」の方ではなく、トレズヴォンの音が作曲の素材になっていると考えるべきだろう。

 

また特に表記があるわけではないが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の冒頭で、ソロピアノが単なる和音の打ち鳴らしを大げさに続けていくような感覚は、幼少期からトレズヴォンの音色に馴染んでいたからこその音感なのではないかと思えてくる。

 

彼らには、このトレズヴォンの鐘がなり、合唱が歌い続ける教会の響がそのまま潜在的な音感となっていったことであろう。

こうした特徴を持ったロシアが西ヨーロッパの音楽と出会っていく頃に話を進めたい。

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

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第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

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第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

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第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

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第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第6回

 

信仰の対象であって、元来、芸術作品であるかどうかは求めていないというこの姿勢は、そのまま音楽にも当てはまるとみていいだろう。

 

あくまでも、神に捧げる言葉に音楽を付けているのであって、卓越した音楽性を感じさせるようなものを奏でることが目的ではないのである。

 

その意味では、近代になってからのチャイコフスキーやラフマニノフが作曲した聖歌「徹夜祷」(晩祷)なども、本来、公演を目的としている作品目録で同列に扱うべきではないのかもしれない。

 

この東方正教の宗教儀式は声楽のみによって行われ、楽器の使用は禁止されている。

 

つまり、神に対する祈りの言葉、讃美の言葉があるから、それを声楽という形で伝えているのであって、歌詞を持たない器楽の音は、具体的な祈りや讃美を発していないとみなされているのである。

 

当然、西ヨーロッパが教会内で様々な楽器を使用して典礼行事を行い、芸術性の高いことを当然として発展していったのとは、異なる結果となった。

 

それでもロシアでは、この声楽のみによる音楽の分野において大きく発展していった。

2組あるいは3組の合唱による複合唱曲や、バロックのコンチェルトのように数人の独唱者で演奏する部分とテュッティによる合唱部分が交互に演奏する形式も成立した。

だが、このような聖歌が西欧に広まったり、模倣されたりするようなことはほとんどなかった。

 

◆ロシア正教聖歌(動画)http://www.nicovideo.jp/watch/sm16622138

 

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

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第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

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第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第5回

 

このような、宣伝をしないような性質が、その長い歴史において教会内で用いられてきた美術や音楽が、外部に伝わり難いということにつながったと思われる。

 

正教ではイコン(ロシア語ではイコナ)と呼ばれる聖画像があり、祈りの場においては欠かせないものだとのことである。

教会によってはおびただしい数のイコンが壁いっぱいに祭られている。

近年では写真などで見ることが出来、芸術性が高いものも相当数あると思われるが、知る人ぞ知るものであり、イタリアの画家のように世界中の一般人にその存在が知られることもなく、そもそも作品そのものもあまり外部に知らせようとはしていない。

 

ロシア正教 イコン

 

高井寿雄氏はイコンについて次のように述べている。


『イコンが「イコン芸術」としてその美術的価値を云々されるのは、全く宗教観とは別個のものであって、一般芸術作品としての価値基準に適合したものが、たまたま宗教的世界以外の場で「芸術的」と評価されるだけのことである。
元来、イコンは、展示物でも装飾物でもないのだから、西欧の聖画の彩った、美的要素のごときものは、はじめから考慮されることが少ない。あくまで信仰の対象であり、その対象物のイメージが表われた絵であれば良いわけで、必ずしも美術的にすぐれているものをよしとするわけではないのである。』

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

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第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

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第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

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第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

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第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第4回

 

ここで、ローマカトリック教会と東方正教会とでは、宗教芸術の面においてどういった違いがあったのかに目を向けてみたい。

 

ヨーロッパの宗教画などは芸術性が高く、国宝クラスのものが数多くあることを私たちもよく知っている。

ミケランジェロ、ラファエロ、ダ・ヴィンチなどの作品はキリスト教、あるいは美術という枠を超えて、西洋史上の遺産である。

 

また、音楽においてもそれに匹敵する偉大な楽聖達がいた。

そもそも、教会は音楽家にとって重要な活動の場でもあった。

 

こうした美術や音楽は、例え教会のための宗教作品であったとしても、文化を異にするわが国にも感動を与える芸術として認識されている。

そして、それは何も近代になってから知られたのではなく、すでに16世紀にはその文化が知れ渡り、鎖国という政策にならなければ、順次、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽も伝来していたはずである。


このようなカトリック文化との交流を見ると熱伝導の良さを感じるが、これは、受け取る側だけではなく、発信する教会側にも積極性があるからだといえる。

 

一方の東方正教はこうした熱心な発信というものがない。

 

ニコライ堂(日本ハリストス正教会東京復活大聖堂)聖歌隊指揮者でギリシア正教聖歌研究者でもあった高井寿雄(たかいひさお)氏の著書「ギリシア正教入門」の序章で、正教が発信しないことについて触れている。

『日本にはたくさんの宗教が共存していて神道、仏教、キリスト教とその各流派をあげればきりがないほどである。そしてそれらの宗教はなんらかの形において自分の宗教をPRしている。(中略)そんな中にあって、なにひとつ現世的な迎合、宣伝もせず、対外的にも門戸を閉じているのが日本の正教会ではあるまいか。』

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

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第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第3回

 

ビザンツ帝国とはローマ帝国が二つに分裂した東側に当たる。

ローマ帝国は392年、キリスト教こそが帝国唯一の国教と定め、その直後に東西に分裂した。

年表で確認すると、西暦395年が東西分裂の年になっている。

当初は帝国が二分してもキリスト教会は同一組織であった。

 

しかし、時代が下っていく中で、東西の考え方の違いに持ちこたえられなくなり、

とうとう、1054年、ビザンツ側の教会が、西側ローマカトリック教会から分離独立する。

この分かれたビザンツ側の教会のことを東方正教会あるいはギリシア正教会と呼んでいる。

 

キリスト教化したロシアではあったが、この東方正教会の分離独立によりヨーロッパ諸国とは異なる性格の国になっていった。

ロシアが、ヨーロッパであるような無いような感じがする原因の一つといえよう。


こうしてロシアの原点となったキエフ公国も年表から消滅することになる。

1240年、モンゴル帝国によってキエフは制服された。

以後、2世紀半に及びキプチャク=汗(ハン)国としてタタールの軛(くびき)と言われる異民族支配に置かれた。


東洋系の韃靼人に支配されることになったロシア(キプチャク=汗国)にとって、

西の向こうにあるヨーロッパは益々遠のいていった感覚になったことであろう。

 

この間に、日本では室町時代、ヨーロッパではルネサンスを迎えた。

この時期には文化的な面での日本らしさやヨーロッパらしさが形成されたが、

ロシアにおいてはそれどころではなく、タタールから専制という統治スタイルを受け継ぐ期間になった。

 

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第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

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第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

 

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第2回

 

改めて述べることでもないが、ロシアの国土は広大である。

しかし、世界史に目を向けた場合、

国のサイズはその盛衰を表し、常に一定してはいない。

むしろ予め大きさが決まったところで考えることが出来る日本史というのは、島国だからこそであって、世界的には特異である。

 

東京書籍の世界史の年表を開き、順を追って見ていくが、

ロシアは中々登場して来ない。

 

989年になってキエフ公国(キエフ・ロシア)のウラディミル祇い

キリスト教に回心したというあたりが、ロシアの出発点だと考えていいのだろう。

以後、ロシアはキリスト教国家の一員となる。


ウラディミル祇い呂海離リスト教化の直前、ビザンツ帝国と戦っていた。

ビザンツ帝国の出先拠点であるケルソネソスを攻め、包囲の末に占領した。

このケルソネソスとは、後のクリミア戦争の舞台になったセバストポリのことである。

ところが、ウラディミル祇い呂海寮衫虜鄒錣棒功したにもかかわらずケルソネソスから撤退してしまう。

 

それだけではなく、敵方であるビザンツ皇帝の妹を自らの妃として迎え、

更に異教としていたキリスト教をも取り入れるという融和政策に大転換する。

 

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第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

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第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

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